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【めがね屋再考②】老眼めがね博物館はテーマパークだった!!

【めがね屋再考②】老眼めがね博物館はテーマパークだった!!

| めがね新聞編集部

めがねと人をつなぐ”めがね屋さん”について考えてみる「めがね屋再考」シリーズ第二弾。

めがね屋さんとめがねを使う側がもっと上手にお付き合いできれば、めがねとの付き合いもよりいいものになるのでは? という提案から始まったこの企画。第一弾は『眼鏡橋華子の見立て』作者・松本救助さんとグラスフィッターである森一生さんに、めがねユーザーとめがね屋さんの新しい関係についてお話し頂きました。(松本救助×森一生 対談「気軽に通えるめがね屋があったらいいのにな!」)。

第二弾は「めがね屋のサービスの可能性」を探るべく、テレビや雑誌などの様々なメディアに取り上げられている池袋の観光名所的存在「老眼めがね博物館」を取材してきました!

老眼めがね博物館はテーマパークだった!!

「老眼めがね博物館」って何?

「めがね新聞」には、読者やめがね業界関係者からめがねにまつわるニュースが毎日たくさん寄せられます。その中に「老眼めがね博物館という摩訶不思議なスポットが池袋にある」という情報が。

博物館? はて、池袋にめがねの博物館などあったかな? と思って調べたところ、どうやら老眼鏡のアウトレット商品を販売しているお店とのこと。…しかし、ただのお店ではなさそうで、観光バスツアーの立ち寄り場所にもなっているらしいのです…。ますます正体が不明です!! 「めがね」を売っているからには、「めがね新聞」で正体を調べないわけにはいかない! ということで取材をお願いしたところ、店主の武井豊さんに快く承諾頂きました。

取材に行って、まずは店内のユニークな宣伝方法にびっくり! また、店主の武井さんのお話を伺い、その異色の経歴にもびっくり! なるほどなるほど、お店に人が集まる理由は、武井さんのアイデアに秘密があったのですね…。ということで、「老眼めがね博物館」の人気の理由を大公開しちゃいます!!

日本全国で老眼鏡を売っていた!

老眼めがね博物館はテーマパークだった!!

今日は独特な独自の方法で老眼鏡を販売されている老眼めがね博物館が、なぜ何度もテレビに取り上げられるほど話題になっているのかに迫りたいと思います。さっそくですが、武井さんはなぜ老眼鏡を売るようになったのですか。

武井「老眼めがね博物館」を開業する前は、全国の催事場で老眼鏡を販売していました。なぜ老眼鏡だったかというと、その当時は催事販売で老眼鏡が売れたからです。その時々で何が売れるのかを見極めて販売してきました。だから、老眼鏡だけでなく、おもちゃや返礼ギフトなどを売っていたときもありました。

催事場で販売していたんですね。

武井主に、イトーヨーカドーの店頭やダイエーの催事場などで販売していました。デパートの催事場でも売っていましたね。だいたい期間は一週間。開店と閉店を繰り返すスタイルですね。

なるほど、開店・閉店セールを繰り返す商売が、催事販売なんですね。そのスタイルで全国を周られていたんですか。

武井そうですね。全国津々浦々販売してきました。石垣島から宮古島、瀬戸内海の島々も老眼鏡を販売して巡りました。

そんな日本の隅々まで周られたんですね。

武井その季節ごとに場所を変えてね。例えば、米の産地には収穫が終わってひと段落がついた頃に販売にいきました。収穫期に行っても誰も来てくれませんからね。各地の社務所でも販売しました。京都だと薬師寺とか伏見稲荷などです。催事販売は、フットワークの軽さと情報収集が要の商売です。

お客さんは口コミで集まるんですか。

武井それもありますが、各地でチラシを入れます。これは昔つくったチラシですが裏を見てください。

老眼めがね博物館はテーマパークだった!!

カレンダーになってる!

武井こうするとチラシを捨てないでしょ。景気の悪いときは「倒産」というワードを使うこともありました。こういうチラシで宣伝しながら、全国の市民会館や公民館でも販売していました。

老眼めがね博物館はテーマパークだった!!
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