【めがねスポット巡り・後編】そうだ、目の神様を巡りに京都行こう!
目次
京都にある「目の神様」を巡るご利益ツアー、後編です!
前編は、伏見稲荷大社の「眼力社」、祇園の「仲源寺・目やみ地蔵」、西加茂にある「神光院」の三ヶ所を巡りました。
どこもそれぞれ大変見応えがありましたが、ご利益ツアーはまだまだ続きます!
後半でご紹介するのは、金閣寺にある「不動堂」と、長岡京にある「柳谷観音・楊谷寺」(やなぎだにかんのん・ようこくじ)です。
今回もどんな見所があるのか、それぞれの歴史や由来とともにレポートしていきます。
それでは早速、後編をどうぞ!
金閣寺のお不動さんは目の病気にご利益あり!
「京都屈指の観光名所のひとつである金閣寺は、正式名称を鹿苑寺という相国寺の塔頭寺院の一つ。
足利義満の別荘が死後に禅寺となったもので、金箔で覆われた舎利殿が「金閣」という通称の由来です。
しかし、その舎利殿も昭和25年に僧侶の放火によって全焼。現在の舎利殿は昭和30年に復元され、その後の大改修によりさらに大量の金箔を施されたものとなっています。
今回ご紹介する不動堂は、金閣寺山内で最古の建物と言われています。一度応仁の乱の際に焼失しましたが、天正年間に豊臣政権の五大老の一人だった宇喜多秀家によって再建されました。
安置されているのは、弘法大師・空海が造ったとも言われている本尊・石不動明王と、鎌倉時代に造られた不動明王立像(重要文化財)。
石不動明王は首から上の病気、特に眼の病気にご利益があると言われています。(石不動明王は年に2回しか公開されません)
金閣寺の不動堂があるのは、金閣寺参拝ルートのラスト。不動堂を抜けると、石段を下って外の世界に戻ることになります。
眩しいほどの金色が印象的な舎利殿とは打って変わって、不動堂は落ち着いた色彩の建物。扉も閉ざされているので、どこか厳かな雰囲気が漂っています。
お堂の柱には「特に眼病に霊験あらかた」という説明が掲示されていました。
ゴールドに輝く舎利殿の華やかさに対して、不動堂から感じたのは重厚さと静けさ。順路の最後に登場することもあり、うっかり素通りしてしまいそうになりますが、お堂の前に佇んでみると不思議と心が穏やかになりました。
観光客でごった返す金閣寺の中でもオアシス的なスポットです。
竹林を抜けてたどり着いた「柳谷観音・楊谷寺」
最後に目指すのは、長岡京にある西山浄土宗「柳谷観音・楊谷寺」(やなぎだにかんのん・ようこくじ)です。
なんでも、平安時代から眼病平癒を願う人々から信仰されてきたそうで、ご利益ツアーのトリにふさわしい大本命!
私が行った4月下旬は、長岡京の名産である筍の季節。新鮮な筍って、美味しいですよね…しかし、今回は時間の都合でガマン! あちこちに直売所が出て賑わっている中心部を抜け、一路目的地を目指します!
ひたすら細い山道をクネクネと上っていきます。途中から人の気配も消え、すれ違う車もほとんどいない状態に。うっすら不安になってきたところで、柳谷観音ののぼりを発見!
しばらくすると、楊谷寺の立派な境内が現れました!
想像していたよりも遥かに大きい敷地に圧倒されつつ、早速中央にある階段を上っていきます。境内の全体図はこんな感じ。
楊谷寺が創設されたのは806年(大同元年)。第一世延鎮僧都により開創されました。
「西山にて生身の観音様に出会うことができる」という夢のお告げを受けた延鎮僧都は、柳が生い茂る渓谷の岩上に生身の観音様を発見。その観音様こそ本尊である十一面千手千眼観世音菩薩で、古くから眼病に霊験ありと信仰されてきました。
ではさっそく本堂にお参りします。
本堂の内部へは靴のまま入ることができますが、本尊の正面以外の畳部分に立ち入る際には靴を脱ぎましょう。(後述しますが、本堂から境内の上部にある奥之院までは廊下でつながっています)
この日は快晴。伏見稲荷大社や金閣寺の賑わいとは打って変わって、境内も本堂の中も穏やかな時間が流れていました。
隅から隅まで美しく手入れされた建物内に充ちた柔らかい空気に、身も心も癒されるようです。
本堂の外ではもちろん目のお守りも売っていました。
テレビ局で営業・イベントプロデューサーとして勤務した後、退社し関西に移住。一児を育てながら、映画・演劇のレビューを中心にライター活動を開始。ライター名「umisodachi」としてoriver.cinemaなどで執筆中。サングラスが大好き。