【FACTORY900 デザイナー】青山嘉道さん×田村洋介さん Wインタビュー「“美しさ”を追い求めるデザイナーたちのリレー」【前編】

”めがね界のアカデミー賞“と呼ばれるSILMO D’OR(シルモドール)を、二度に渡って受賞したブランドがあります。青山眼鏡株式会社(福井県福井市)の展開するブランド「FACTORY900」です。一度見たら忘れられない個性的なデザインのめがねは、多くのめがねファンを夢中にさせてきました。夢中にさせてきた、というよりも「人生を変えてきた」と言ってもいいかもしれません。

今回お話を聞いためがねデザイナーの田村洋介さんは、そんな「人生を変えられた」人のひとりです。田村さんは、FACTORY900に出会ってからその魅力にとりつかれ、それまでの職を捨てることになります。めがねデザイナーを目指し、FACTORY900の門を叩いてから7年、かつて自身を魅了しためがねに勝るとも劣らない、個性的なデザインのめがねを次々に発表するめがねデザイナーへと成長を遂げていくのです。

そしてインタビューにはなんと、田村さんの師匠であり、SILMO D’ORを受賞した、FACTORY900デザイナーの青山嘉道さんにも同席していただきました! 恐らくめがね業界初(?)の師弟インタビューを前編・後編に渡ってお届けします。

初めてめがねをかけた瞬間から、ずっとめがねに夢中です。

今日は、FACTORY900デザイナーの青山さんと田村さん、師弟であるお二人からお話を伺い、FACTORY900の魅力に迫っていきたいと思います。田村さんは、めがねデザイナーになる前はめがね屋さんで働かれていたとお伺いしました。

田村そうです。大学ではデザインや美術を学んでいたので、将来もグラフィックデザイナーになりたかったのですが、親からは「安定した大きな会社に勤めてほしい」とずっと言われていて。ひとまずは親を安心させたくて、デザイナーの道は諦めました。それで、どうせ就職するなら昔から好きだっためがねに囲まれて働けたらいいな、と思って全国展開しているチェーンのめがね屋さんに就職したんです。

めがねが元々好きだったんですね。そもそも、めがねを好きになったきっかけって覚えていますか?

田村中学生のときに初めてめがねをかけたのですが、かけた瞬間に「これだな」と思ったというか、一瞬で好きになりました。めがねってかける前は少しマイナスのイメージがあるじゃないですか。恥ずかしいというか。僕もそうだったんですけど、かけた途端にそれが吹き飛びました。最初にかけていためがねがメタルフレームだったので、次に購入するならプラスチックフレームにしよう、とかすぐに考えていたくらいです。

FACTORY900デザイナー 田村洋介さん

ではご自身でもたくさんめがねを買っていらしたんですね。

田村大学生になって自由にできるお金が増えてからは、その大半をめがねにつぎ込んでいました。FACTORY900のめがねに出会ったのは大学4年生のときだったかな。そもそもはTVで芸人の宮川大輔さんがかけているめがねに憧れて、どこのブランドか調べてみたらFACTORY900の「FA-160」というモデルだと分かったんです。ただ当時住んでいた名古屋では扱っているお店がなかったので、岐阜で開催されているFACTORY900のトランクショー(※1)まで足を伸ばしてようやく手に入れました。ちなみに青山に初めて会ったのもこのときです。と言っても、挨拶をしたくらいですけどね。

つまんないことはどうでもいい。大切なのは「熱」だけです。

青山さんは、当時のことを覚えていますか?

青山覚えていないですね。その岐阜のお店では毎年トランクショーをやっていたんだけど、次の年も来てたのかな。そのときは「めがね屋で働いてる」って話していた気がするなぁ。当時、結構そういう若者が何人かいて記憶が定かではないんだけども…。田村は、それから毎年トランクショーに来るようになって、ウチに入りたいって言ってきたのもトランクショーだったよね。

田村そうですね。当時の僕はめがね屋さんで働き出してから3年目で、自分が普段商品として扱っているめがねと、FACTORY900がつくっているようなめがねとのギャップに悩んでいました。あと、やっぱり売る側ではなく、つくる側としてクリエイティブなことに携わりたいという想いもありましたね。それで、やるならこれまでの経験をいかして「めがね」しかないだろう、と。

FACTORY900以外のブランドは選択肢になかったのですか?

田村ありません。ここを断られたら、めがねデザイナーの道は諦めようと思っていました。そういう想いを抱えて、大学の卒業制作で描いた絵の写真を、トランクショーに持って行ったんです。「実は大学でこういう勉強をしていました。何でもいいんで仕事させてもらえませんか?」って、それを見せながらお願いしました。

青山それなら「ポートフォリオ持って来いよ」って話なんだけどね。なんでこんな小っちゃい写真なんだよって(笑)。まあ口には出さなかったけれども。

FACTORY900デザイナー 青山嘉道さん

小さい写真を見ながら、心の中で突っ込んでいたんですね。でも田村さんの熱意を感じるエピソードですよね?

青山そうですね。今ポートフォリオがどうとか言っちゃったけど、本当はそんなつまんないことはどうでも良くて。それよりも大切なのは「熱」です。本気でつくりたいものがあるのかどうか。でも、それだって実際にやってみないと分からないでしょう? だからとりあえず「一度、工場を見に来れば」と言ったんです。それで、1週間後にはもう見学に来ていたよね。

FACTORY900を愛してくれている若者への最大の誠意

田村さんは、憧れのFACTORY900のめがねがつくられている現場を見学されるわけですが、実際どう感じましたか?

田村「最先端の機械がズラッと並んでいる」光景をイメージして行ったら、普通の家の中のような場所でつくられていて、そのギャップには驚きましたね。でも、これは入ってから分かったことですけど、本来は工場には絶対に人を入れないんですよ。そういう場所を見学者の僕に見せてくれたっていうのは、本当に感謝しています。

青山それが僕にできる田村への最大の誠意かなって思ったんだよ。

実際に、入社を決めるまでには、どんなやり取りをされたのか覚えてますか?

田村「どうする?」って聞かれたので、「やりたいです!」って答えたら「分かった」って。結構あっさりなやり取りでした。断られるだろうと思っていたので、承諾してもらったときは「行動してみるものだ」と思いましたね。


青山そうだったっけ?(笑)その辺はあんまり覚えていないなあ。僕は工場を見に来た時点で「こいつは入社するな」って思っていたから。だから、入る・入らないよりも、「ちゃんと続くかな?」っていうのが、その時点では一番心配だったかな。やっぱり未来のある若者が、そのときの職を辞めてうちの会社に来てくれる訳だから、責任も感じていたしね。それはもう、プレッシャーでした。

「自分の分身」を育てたい訳じゃない。

憧れのめがねデザイナーへの一歩を踏み出された田村さんですが、めがねデザイナーになるにあたり、まずは何から学んでいったのですか?

田村最初は、実際にめがねをつくる工場での仕事がメインでした。デザインというよりは、職人的な技術を磨いていった感じです。最初に取り組んだのは「ガラ入れ」という作業でした。「ガラ入れ」とは、簡単に言うと機械から削りだされたフレームの表面を磨いて綺麗にしていく工程のことです。その工程が難しくて。その難しさに当時の僕はビビっていました。「練習用」は用意されてなくて、最初から商品になるもので作業していましたから。僕が失敗すると、そのパーツがダメになってしまう。実際に何本もダメにしました。それを先輩が何も言わずに直してくれるんです。ありがたいと同時に悔しかった。


緊張感の中でめがねをつくりあげていくという体験を積んでいくんですね。ほかに難しかった作業はありましたか?

田村しばらくすると「泥バフ」っていう、泥をつかってセルを研磨していく作業も任されたんですが、これもやっぱり難しかったです。どれくらいの角度でめがねを研磨機に当てるのか、泥の粘度はどのくらいにすればいいのか。先輩の作業を横で見ながら、必死に学びとっていきました。

どちらかと言うと「見て盗む」といった感じで学んでいったんですね。青山さんは、そういうことを意識されて田村さんに経験を積ませていったのですか?

青山僕は元々は、手取り足取りで物事を教えるタイプだったんです。でもそれがあまり上手くいかなくて。多分、昔の僕は「自分の分身」をつくりたがってたんですよね。でも、それは違うのかもしれないと気付き、彼には「教える」というよりは「見せる」という感じで接してきたと思います。「見せる」のは、技術だけじゃなくて、僕の「頭の中」もね。例えば「美とは?」とか、「デザインとは?」、「FACTORY900とは?」って、そういうことについて、彼とさんざん話しましたね。

「答えのある問題」が解けない人間に、「答えのない問題」は追いかけられない。

めがねのデザインに関しては、具体的にどんなトレーニングをされたんですか?

田村入社してすぐに「デザインストローク」という課題を出されました。B4ケント紙に2ミリピッチの同心円と、それに交わる接線をコンパスと定規を使い下書きし、それを0.05ミリのペンでフリーハンドでなぞるというトレーニングです。仕事が終わった後や、休日にこの課題に取り組みました。正確な円をいくつも描くのって本当に難しくて、まずは毎日手を慣らすために練習をして、それから本番の紙に書いていくんですが、それでも何度となく失敗しました。進んでは戻り、進んでは戻り、そんなことをしながら何十枚も書き直しましたよ。でも課題に取り組み始めたのが5月で、毎年10月に開催されるフランスのSILMO(シルモ)展までには絶対に完成させると宣言していたので、有言実行させるために必死でがんばりました。そして本当にギリギリの、青山がフランスに行くために空港へ向かっているときに完成させて、すぐにそれを写真に撮ってメールしたことをよく覚えています。

デザイン実務の基本「デザインストローク」

まさに有言実行ですね。その課題には、どんな意味があるのですか?

青山これは僕自身が、川崎和男さん(※2)というデザイナーの元で学んでいるときに取り組んでいたトレーニングなんです。要するに「苦行」なんです。これが完成させられない人は何人もいました。逆に、根気さえあればできる。単純作業ですから、やればできる。「1+1=2」という答えが明らかな問題を解けと言うようなものなんです。デザインという「どこまでも答えが出ないもの」に取り組もうという人なら、こういう「答えが分かっている問題」が解けなければ話にならない。僕の持論ですけどね。

いわばデザイナーになるための「試験」のような課題なのですね。ただし「苦行」とは言いつつも、実際に取り組んでみて得たものはあったのではないですか?

田村やっぱり集中力や根気は磨かれたと思います。きれいな線の書き方も、この課題で身につけました。FACTORY900のめがねデザインの過程って独特なんです。図面をデザイナーは、最後まで手書きで描くんですよ。それを最後に社長(青山陽之さん)に渡して、データ化するんです。だから、自分の手できれいな線を引けないことには何も生み出すことができません。

デザインが全部手書きなんですね! でも、「Illustrator(イラストレーター)とか使えば一発なのに…」と内心でひそかに思うことはありませんか?

田村うーん、……ありますね。図面を出して「今より2%小さくして」とか言われたときは「データでやれば楽なのに」と(笑)。でも、やっぱりそれじゃダメなんです。データで縮小したら、本当にすべてが均一に2%小さくなるでしょう? でも2%でも大きさが変わったら、全体のバランスも変えなくちゃならないはずなんです。手書きなら無意識にそれが調整できますから。そういう小さなこだわりの積み重ねが、FACTORY900のオリジナリティに繋がっているんだと思います。

まとめ

FACTORY900との出会いから、めがねデザイナーの道に飛び込むまでの出来事を、まるで昨日のことのように語る田村さん。「覚えてないなあ」とぼやきながらも、田村さんの今日までの成長をどこか照れくさそうに振り返ってくれた青山さん。この微妙な温度感の差が、親子とも友人同士とも上司と部下とも違う、「師匠と弟子」という独特の関係性を象徴しているようでした。

ますます熱を帯びる師弟インタビューは、後編へ続きます!

※1 トランクショー :
メーカーやデザイナーが直接店舗に出向き、一部の顧客に向けて行う展示販売会。

※2 川崎和男さん:
福井県出身のインダストリアルデザイン・プロダクトデザインを中心に活動するデザインディレクター、博士(医学)。

FACTORY900(ファクトリーキュウヒャク)

オフィシャルサイト:
https://www.factory900.jp

福井本社:
青山眼鏡株式会社
住所:〒919-0326 福井県福井市半田町9-8
電話:0776-38-0003
FAX:0776-38-4433

直営店:
FACTORY900 TOKYO BASE
住所:東京都渋谷区神宮前5-21-21 MOON-SITE 1F
電話:03-3409-0098
営業時間:12:00-20:00
定休日:水曜日
※お問い合わせの際は、「めがね新聞を見た」とお伝えください。