【めがねと映画と舞台と】第33回『バイス』
トランプ政権になってから、特にハリウッドで目立っている印象がある社会派作品。『グリーン・ブック』や『ブラック・クランズマン』のような人種差別を扱った作品や、『フロリダ・プロジェクト』のような貧困を扱った作品が多いですが、中にはド直球に政治を扱った作品もあります。
今回のテーマ作品『バイス』もそのひとつ。実在の人物(しかも存命)を思いっ切り批判した、痛快政治系エンタメ映画です。
『バイス』が題材にしているのは、ジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領を務めたディック・チェイニー。絶大な権力を握り、アメリカをイラク戦争へ誘導したとされる大物政治家です。『バイス』では、酒浸りで逮捕歴もあるような若者だったチェイニーが、野心家の妻に叱咤激励されて政治の世界に足を踏み入れ、知略を巡らせてのし上がっていく様が皮肉たっぷりに描かれていきます。
大統領首席補佐官、国防長官と階段を上がっていったチェイニーは、紆余曲折ありながらも副大統領に就任します。そして、9.11アメリカ同時多発テロ事件が起きた後、巧妙に情報操作を行いながら世論をイラク戦争賛成へと導いていくのです。
軽快なナレーションを挟みながら、テンポよく進んでいくストーリーはコメディタッチのドキュメンタリーのようでもあり、その軽いノリがかえって底知れない恐ろしさを引き立てています。
「イラクに大量破壊兵器があるに違いない」という主張のもと、何ら確証がないまま攻撃と突き進んでいく様子は悪夢のようですが、紛れもなく現実に起きた出来事でした。当時のニュースは私の記憶にもハッキリと残っています。
チェイニー役を演じるのは、ハリウッドきってのカメレオン俳優であるクリスチャン・ベール。役柄によって数十キロも体重を増減させ、作品によって全く違う容貌になってしまう彼の真価は、本作でもいかんなく発揮されています。頭頂部まで禿げ上がった額、熊のようなずんぐりとした体型、めがねの奥で抜け目なく光る目はまさにチェイニーそのもの。
クリスチャン・ベールの面影を一切感じさせないほど本人になり切った風貌は、ポスターでも確認できます。ちなみに、クリスチャン・ベールはチェイニーを演じるために体重を20キロ増やしました。
クリスチャン・ベールだけではありません。『バイス』に出てくる政治家たちは、誰もが驚くほど本人にそっくりです。ジョージ・W・ブッシュも、コリン・パウエルも、コンドリーザ・ライスも、ドナルド・ラムズフェルドも、登場するだけで思わず吹き出しそうになるほど似ています。
チェイニーの妻リンを演じるエイミー・アダムスもまたしかり。強烈な野心を胸に夫の背中を押し続けるリンは、本作のもう1人の主人公だといえるでしょう。長女が同性愛を告白したときの2人の反応の違いなど、細かいシーンにも注目してみてください。
チェイニーの時代に強引に引き起こされた世界の混乱は、現在でも続いています。「アメリカは強くなければいけない」というチェイニーの信念を聞いて、トランプ政権を思い起こさない人はいないでしょう。『バイス』のポスターで不敵な笑みを浮かべる男のめがねの奥には、「アメリカ史上最強で最凶の副大統領」というキャッチコピーにふさわしい不気味な光が宿っています。
映画『バイス』
監督・脚本:アダム・マッケイ
出演:クリスチャン・ベール、エイミー・アダムス、スティーヴ・カレル、サム・ロックウェル
2018年/アメリカ/英語/132分/シネマスコープ/5.1ch/カラー/原題:VICE/日本語字幕:石田泰子/字幕監修:渡辺将人
提供:バップ、ロングライド 配給:ロングライド