【めがねと映画と舞台と】第8回『裏切りのサーカス』
英・仏・独合作のスパイ映画『裏切りのサーカス』(2011年)は、1974年に発表された小説『Thinker,Tailor,Soldier,Spy』(ジョン・ル・カレ著)を、イギリスを代表する超豪華キャストを中心に映画化した作品です。限界まで説明を削ぎ落した表現や、どこまでもスタイリッシュな雰囲気が、今なお高い人気をほこっています。
『裏切りのサーカス』の舞台は、東西冷戦下のイギリス。「サーカス」と呼ばれる英国情報部の幹部5人の中にソ連との内通者“もぐら”がいるのではないかという疑惑が持ちあがることから、物語はスタートします。情報部チーフのコントロールは“もぐら”の情報を得るために部下をハンガリーに派遣するも、失敗。自身の右腕であった幹部の一人、スマイリーと共にサーカスを退くことになります。
コントロールは退任後ほどなくして死去。別筋から“もぐら”の存在を示唆された外務次官はスマイリーを呼び出し、“もぐら”探しを要請します。スマイリーは、サーカスの職員であるギラムと共に“もぐら”探しを開始し、かつての仲間であるサーカス幹部たちに疑いの目を向けることになるのですが……。
ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース、マーク・ストロング、トム・ハーディ、ベネディクト・カンバーバッチといった幅広い年齢層のイギリス人俳優たちが顔を揃え、見ているだけでゴージャスな気分に浸ることができる『裏切りのサーカス』ですが、作品自体も非常に見応えがあります。淡々とした雰囲気の中で度々訪れる緊迫感や、一瞬目を離しただけでも置いていかれてしまうほどギュギュっと詰め込まれた膨大な情報量。セリフがない数秒のカットや、場面の切り替え方にまで意味を持たせ、できる限り説明的な表現を避けた構成・演出にうならずにはいられません。映画好きならば一度はご覧いただきたい傑作です。
そんな『裏切りのサーカス』において、かなり意識的に使用されているアイテムが、他ならぬ「めがね」です。作中で常にめがねを着用している人物は二人。一人目は、主人公であるスマイリーです。映画序盤、サーカスを退いた後でめがねを新調するスマイリー。この行為によって、スマイリーのめがねは、全編を通じて重要な目印となります。というのも、ひどく複雑なストーリーを持つ本作では、過去と現在の描写が小刻みに入れ替わるからです。スマイリーのめがねの色によって(サーカス着任中は茶色のめがねを、引退後は黒いめがねを常にかけている)、観客はそのシーンが現在のものなのか、過去のものなのかを判別することができるようになっています。
めがねをかけた二人目の人物は、ビルという名の少年です。映画序盤でハンガリーに派遣されたものの、紆余曲折を経て中学校の臨時教師となった元スパイの生徒であるビル少年。転校生であるというハンデに加えて、小太りでダサいめがねをかけたビル少年は、なかなか周囲になじめないでいました。自分には何の取柄もないと自虐する彼に、元スパイは「君は優秀な観察者だろ? それは孤独な人間の才能だ」と伝えます。
『孤独な者は、すぐれた観察者である』という言葉は、スマイリーに対しても当てはまるキーワードです。スマイリーは誰よりも優秀なスパイであり、冷静かつ正確な分析能力を持ち、ときには冷酷さも持ち合わせた完璧主義者ですが、奔放な妻という決定的な弱点を持っていて、妻を失う恐怖に怯え続けています。
『裏切りのサーカス』におけるめがねとは、【孤独】と【観察者】を表すアイテムであり、きわめて象徴的に扱われています。【決定的な弱点】と【スパイの資質】と言い換えてもいいかもしれません。ちなみに、実はこの作品には、もう一人“時々めがねをかける”という人物が登場します。それが誰なのかはここでは触れませんが(物語の核心に関わるので)、鑑賞後にスマイリー、ビル少年、その人物を並べてみれば、本作におけるめがねの重要性がおわかりいただけることでしょう。