メガネガコンプレックスデイ 第3回「めがねかく語りき」

不遇の(?)めがね時代を過ごし、
さらなるめがね萌えへと深化した私。

基本的にめがねには
それを選んだ本人の趣味嗜好だけでなく、
自身が認識している顔面の特徴、
ソーシャル属性、
そして他人からどう見られたいかの願望が
ギュッと凝縮されていると思っている。

選ばれしめがねのそこかしこには
その人の「人となり」や「我(が)」が
表れているはずである。

例えば同じめがねでも
フレームの違いで与える印象はかなり異なる。
スクエアだと知的、オーバルなら凡庸的、
フォックスなら挑発的…といった感じに。

その他、素材や色、レンズの大きさ、
テンプルのデザイン…etc。
そのひとつひとつの選択の積み重ねによって
めがねが他人に与える印象は
その人独自のものになる。

自分の顔に馴染んでいるという根底条件の上に
添えられた
「私ってこういう人間です」
「他人からはこう見られたいんです」
という密かな主張。

この、めがねに仕込まれた
本人の主張や願望。
私のめがね萌えには
それが最も重要なファクターだ。

口数少なく地味な印象の人が
ポップカラーのプラスチックフレームだと
実はサービス精神旺盛でユーモラスな人なのでは?と想像し、
チタンのハーフリムだと、
何か特殊な趣味や知識がある人なのでは?と
勝手なキャラクター分析を繰り広げる。

そして本人との会話の中で
秘密裏に行う答え合わせ。

さながら、めがね探偵ごっこ…!

めがねから勝手に汲み取り、創り上げた
妄想に萌え、実態とのギャップや
想定通りの真実に萌えるのである。

ちなみにそんなめがね探偵が
歯牙にもかけないめがねとは
推理欲が微塵もかきたてられない
「安直めがね」。

流行重視だったり
本人の顔面にマッチしていなかったり、
逆に馴染みすぎていて
めがねの存在感が希薄だったり。

最近ではファッションや
その日の気分でめがねを
チョイスする人もいると思うが、
大多数の人は
どんな時でも自分が「いい」と思える1本を
選び抜いているはずだ。

その選び抜かれた1本には
その人の「これがいい」「これでいい」が
端的に表れている。

その「いい」を蔑ろにして
流行っているから、とか
どれでも似たようなもんだし、などと適当に選ぶことは
自分自身を蔑ろにすることと同義だと思う。

自分を蔑ろにする人になんか
愛も興味も湧かないぜ。

相手へ向ける眼差しをどう彩るか、
そこには自分自身への愛情と
プロデュース能力が見てとれる。

だからこそ
丁寧に、でもやや控えめに
自分の主張を携えているめがねの人のことを
気になってしまう、好きになってしまう。
ってのもあるんだ、きっと。

目は口ほどに物を言う、
めがねだって負けてない。

【イラスト】 P:ggy(ぴぎー)