【伊藤美玲のめがねコラム】第41回「めがね1本では全然足りない!」

少し前のことなのですが、子どもの通っている幼稚園に移動動物園がやってきまして。動物と触れ合うわが子の姿を見てみたいと、その様子を見学しに行ってきました。

子どもの気が散らないよう、基本的に親は幼稚園の門の外から見学するスタイルだったのですが……。

見えない。どうもくっきりしないのです。わが子の姿が。

クラスの子全員が同じ体操服&帽子を着用しているのに加え、門の外からの見学ということで距離もあり、わが子を判別するのに一苦労。動物とのふれあいを眺めてほっこりする余裕はまるでなく、ひたすら目が疲れる1時間となったのでした。

よく考えたら、私の度付きのめがねは、パソコンでの原稿執筆に標準を合わせた度数設定になっているんですよね。だから、度数は弱め。仕事はほぼ室内だし、車を運転することもないとあり、これまで遠くをくっきり見る必要がなかったわけです。

でも、こういうときのためにもう少し度数を強くしためがねも必要だな、と強く感じたのでした。

って、また子どもの話!? なんて思われそうですが……。じつは子どもができてから、自分でも驚くほどめがねに求める機能が変わってきているのです。

たとえば、子どもと一緒にアクティブに動かざるを得なくなったことで、フレームのフィット感や軽さ、形態安定性を重視するようになったり。夕方お迎えで自転車に乗るときの視界をくっきりさせるべく、夜間運転に適したレンズを試してみたり。そういえば前回書いた調光レンズを日常的に使うようになったのも、子どもとの外出時にサングラスの掛け外しが面倒になったからでした。それに加えて、外遊び用にスポーティーなサングラスも買い足したな……。

めがねは、こんなにもライフスタイルに密接した道具なのだなぁと、改めて気がつかされるばかりです。

もちろん、一人でのお出かけや仕事のときは、今まで通り度なし(コンタクト使用)&デザイン重視で自分のかけたいものを思い切り楽しんでいます。などなど、1人の人間でもシーンによってめがねの使い方がこんなにも変わってくるわけで。ほんとに、めがね1本では到底足りません。むしろ、1本で済ませようとすることが不自然にすら感じます。

人によってもライフスタイルは様々なわけで、1日中外で仕事をする人もいれば、ずっとパソコンに向かっている人もいる。細かい物を作るのが趣味な人もいれば、外で体を動かすことが好きな人もいる。

シーンや用途に応じてめがねを変えることができたら目もラクだし楽しいけれど、それが現実的でないということであれば、自分が生活のなかで何を重視するかを明確にしてから、めがねを作ることをオススメします。

レンズは遠くが良く見えることばかりが最適とは限りませんし、フレームだって軽けりゃいいってもんでもありません。「とにかく見えるように!」「一番いいやつちょうだい!」みたいな曖昧な要望を伝えるだけでは、自分にとって使いやすいめがねを作る機会を自ら放棄してしまっているといっても過言ではないでしょう。

お店でのフレーム選びや検査、レンズ選びの時間は、そうした大切なことを決定するカウンセリングの時間であると、ぜひ捉えてもらえたら。私はそう考えているから、きちっと相談できるお店が好きなのです。