【伊藤美玲のめがねコラム】第106回「めがねでもコンタクトでも、いいじゃないか」
先日、とあるコンタクト関連のCMを見て、少しモヤモヤすることがありました。ここでは具体的な言及は避けますが、そういえば昔のコンタクトのCMといえば「めがねを掛けていた消極的な私が、コンタクトデビューして前向きに!」みたいなイメージだったことを思い出しました。最近ではあまりこうしたアプローチが見られなかったからこそ、今回のCMにはより敏感に反応してしまったのかもしれません。
優劣をつける必要、ありますか?
私は小学生の頃からめがねを掛けています。このコラムでも何度か触れているように、両親はめがねを良く思っていなかったため、写真を撮るときにはめがねを外すよう口酸っぱく言われていたものです。そんなこともあり、中学生になるとコンタクトを使うように。以来、30年以上めがねとコンタクトを併用しています。そう、強度近視の私にはどちらも欠かせないアイテム。それゆえ私は、めがねとコンタクトについて単純に優劣をつけて語ることには違和感を覚えるのです。
意外に思われることも多いのですが、私は今でもコンタクトを使っています。「眼鏡ライターなのにコンタクト!?」と言われてしまうこともあるんですが、じつは“眼鏡ライターだからこそ”必要だったりするんですよね。というのも、コンタクトをしていないと、私は展示会で新作の試着をした際に自分の姿を鏡で見ることができません。コンタクトがあれば、その都度めがねを外すことなく、スムーズに試着&鏡でチェックができるわけです。また、度付きにしたらレンズが分厚くなってしまいそうな大ぶりのフレームは伊達めがねにして、コンタクト併用で楽しんでいます。
一方で、私はコンタクトの装用感がとても苦手です。だから長時間付けてはいられないし、読書や原稿執筆に集中したいときには必ず度付きめがねをかけています。基本的にはめがねで過ごしたい。そうした好みは別として、災害時など手を簡単に洗えないような状況においても、コンタクトは少々不便。避難袋にはめがねを入れておくべし、とも言われていますよね。
どちらも役割や活躍するシーンが違うから、やっぱりめがねもコンタクトも両方必要。互いに秀でた機能があるわけだから、それぞれの魅力を語るとき、わざわざもう一方を貶める必要はないし、どちらかを過度に敵視することもない。私はそう思います。
そもそも、コンタクトユーザーはその多くがめがねユーザーでもあるわけなのだから、めがねを否定されたら、めがねを使うときに良い気分ではないですよね。めがねもコンタクトも、自由に併用すればいい。どっちを使ったって、人にとやかく言われる筋合いはないのです。
ちなみに、今回のことをきっかけにYouTubeで過去のコンタクトのCMを片っ端からチェックしてみました。じつは、意外にもめがねと比較するような内容のものはほとんどなかったんです(たまたまアップされていないだけかもしれないけれど)。その事実に安心する一方で、自分自身もコンタクトのCMや広告について画一化したイメージを持ちすぎていたことを少々反省……。この話は、もう少し歴史を紐解いて今後もじっくり考える必要がありそうです。
東京都生まれ。出版社勤務を経て、2006年にライターとして独立。メガネ専門誌『MODE OPTIQUE』をはじめ、『Begin』『monoマガジン』といったモノ雑誌、『Forbes JAPAN 』『文春オンライン』等のWEB媒体にて、メガネにまつわる記事やコラムを執筆してい る。TV、ラジオ等のメディアにも出演し、『マツコの知らない世界』では“メガネの世 界の案内人”として登場。メガネの国際展示会「iOFT」で行われている「日本メガネ大賞」の審査員も務める。