【伊藤美玲のめがねコラム】第32回「老舗の閉店」
先日、東京・日本橋にあるめがね店「村田眼鏡舗」が146年の歴史に幕を閉じました。
村田眼鏡舗は1615年に江戸で創業。もともとは京都御所に鏡を納めていた鏡師だったそうです。その後1872年に日本橋室町に眼鏡店を開業。職人の手仕事によるオーダーメイドのめがねなどを扱っており、昭和天皇をはじめ、伊藤博文や夏目漱石、島崎藤村など名だたる人物が顧客として名を連ねていたといいます。
もちろんお店の存在は知っていたのですが、これまで取材などのご縁はなく、また自分のめがねを作るには少々敷居の高さを感じていて、お店の前を通っても中まで入ったことはありませんでした。
「私もいつかここでめがねを作ってみたい」「いつか取材をしてみたい」。そんな憧れのお店でしたが、今年に入り閉店の知らせを耳にしたのです。
日本で最初のめがね専門店と言われるお店がなくなってしまう……。
私にとっての「いつか」は、訪れることなく終わってしまう……。
あぁ、なんで私は東京に住んでいながら一度もお店に行かなかったのだろう。ライターでありながら、一度も話を聞きに行かなかったのだろう……。激しく後悔しました。
その知らせを聞いた時点で、閉店までまだ日はありました。でもこれまで一度も伺ったことのない自分が、閉店の知らせを聞いてから取材を申し込むのは何か違うような気がして。
でも、閉店してから後悔しても遅い。そう思い、先日お店へ伺ってきました。取材という名目ではなく、あくまでひとりのめがねユーザーとして。
閉店の数日前ということで、もう検査などは受け付けていなかったのですが、来店した理由を正直に告げると快くお店のなかを見せてくださいました。中央のショーケースには、べっ甲など高額なフレームが並んでいる一方、なかには自分にも馴染みあるブランドのフレームも。
なんだ、これなら私でも手が届くじゃないか。自分の勝手なイメージで、自ら敷居の高さを感じていただけだったんだ……。これなら、ここでめがねを作って接客、調整だけでも受けてみたかったな……。
年明けのコラムでは「現場の話をもっと聞き、現状を知りたい」なんてことを書いておきながら、結局何もできていない自分が情けなくなりました。「あのとき話を聞いておけばよかった」。そんな後悔、これまで何度もしてきたのに、私は何も成長していないんだな、と……。
雑誌などのメディアは、新店や新ブランドなど、なにかと“新しいもの”ばかりに目を向けがちです。老舗であるほど、ずっとあり続けるだろうと勝手に安心感を抱き、とくに今取材しなくても、と後回しにしてしまう。でも、“存続し続けている”ことの価値やその理由についてだって、もっと取り上げてもいい。10年近くめがね雑誌の仕事をしてきながら、そうした視点が欠けていたことを反省しました。
そして、今日もいつものめがね屋さんに行ける。そんな日常に、もっと感謝しなくてはと思ったのでした。