あなたの変化に、そっと寄りそう

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めがね男子の為事 File: 003 立石イオタ良二

めがね男子の為事 File: 003 立石イオタ良二

| めがね新聞編集部

ラケットを口にくわえて?

立石イオタ良二そうなんですよ!片足シューズ脱いで足で綺麗にボールを上げて、むち打ちになるんじゃないかってっていうくらい首を振り回して、回転をかけて、スマッシュして。それを見たときに、哀れみでも感動でもないんですけど、もうなんか涙がブァーっと出てきて。

涙の理由というのは…

立石イオタ良二僕は後継ぎ、経営者として動いています。額縁ってモノづくりだから、ITのように一発ってないじゃないですか。そのなかで兄の海外遠征の費用とか、妹や弟たちの学費とかにお金が行くと、僕は働き出してからの11年、一切給料をいただいていないんです。

家族がそうしてくれたので家族のためにお金を使うことには疑問がないんですが、周りの方の華やかなところを見たり、同じ年代の方が何十億稼いでるのを目の当たりにすると、納得はしても社会的劣等感をすごく感じるようになっていたんです。すごいなって思う反面、自分は遊ぶお金がないとか結婚できるのかなとか(笑)。

周りと比べて色々考えてしまっていたんですね。

立石イオタ良二ただ、その選手を見たときにそういう劣等感とか全部吹っ飛んでしまって、「涙が出て『生きてる』し五体満足だし、大好きな卓球に関われていて海外も来れているってヤバくない?幸せじゃん」って思ったんです。ほかにも障害者卓球に来ている各国の選手を見たときに、彼らの生き抜く力っていうのをすごく感じたんですよ。

生き抜く力とは?

立石イオタ良二障害者卓球は健常者卓球とルールは一緒なんです。全く同じ条件で、彼らは手がない、足がない状態で健常者と同じことをやっているんですよ。彼らと同じ世界に生きていると思ったときに、彼らの持っている生きる力って半端ないなって思って。

自分の悩みがちっぽけに見えそうですね。

立石イオタ良二はい。例えばムカついたから刺したとか、親を殺したとか、鬱とか会社が…とか。色々な問題があったときに、障害者の方々の生き抜く力に触れたら何かある前に思いとどまったり、自分も頑張ろうって前向きになれるんではないかと思ったんです。

なるほど。

立石イオタ良二あと、障害者の方は「自分は障害者だ」っていう心の壁を持ってしまうと思うんですね。でも障害者スポーツがそれを乗り越えるきっかけになるんじゃないかと思うんです。だって、障害者アスリートはどの競技の方もみんなめちゃくちゃ明るいんですよ。スポーツに出会って目標や夢を持つことで、自分が超えられないと思っていた壁がいつの間にか壊れる。壁を乗り越えたという経験があるのですごく明るくて、「生きれているだけで感謝だよ」って軽く言ったりとか、自分の障害を個性と捉えて、ネタにしたりもするんです。

強いですね。

立石イオタ良二日本は海外と比べて障害者スポーツが知られていない。でも知られることで障害者の方にとってもそうですし、健常者と障害者の方々がお互いに理解を深めて社会を変えることもできると思うんです。健常者の方が見たら最初はショックかもしれませんが、そこから得られるものも凄く大きいんですよ。

そういった想いで広報をやられているんですね。

立石イオタ良二生まれたときから障害者の兄と一緒に暮らし、同じスポーツを一緒にしていた僕にしか出来ないことがあるんじゃないかって思ってます。まずは知ってもらおうと。

日本肢体不自由者卓球協会の広報になったきっかけは?

立石イオタ良二どの競技団体もなんですが協会として選手を派遣してあげれるお金がないんです。なのでスポンサーをつけたいと考えたんですが、兄個人では難しかったこともあり、まずは日本肢体不自由者卓球協会、つまり日本代表チームにスポンサーをつけることにしました。

そういうなかでちゃんとした枠組みがあったほうが企業さんにもわかりやすいという話になったんです。そこで家族を中心に博多の町おこしとしてやっている“ハカタ・リバイバル・プラン”の中に、スポーツ部を作って任意団体という形で兄の応援をし、協会と任意団体同士で契約をして、協会の広報として動くようになりました。

協会の広報として障害者スポーツの実情を見て、どういう風に感じました?

立石イオタ良二世間の目は厳しいなって思いました。今まで知られてもいない、メディア価値もない。それは結果が出ていないのでしょうがないことなんですが、結果を出すためにはお金が必要だし、とにかく動かないと何も起こらないと思ってやっていました。そんなときに2020年の東京オリンピック・パラリンピックが決まって、これはすごくチャンスなんですよね。

好調ですか?

立石イオタ良二前評判としてはリオが終わって1ヶ月後にはほとんど報道されなくなって。「また下火だね」って言っていたら、オリンピックのみなさんがすごく頑張ってくれて、卓球の視聴率や人気が上がって。パラの方も結果は出していないんですけど、世間もメディアも注目してくれるようにはなりました。スポンサーにという話をしてくださる企業さんも出てきてくれて、「興味をもってもらっているな」というのは感じています。

日本での認知度も問題なんですね。

立石イオタ良二でもパラリンピックは日本が作ったんですよ。パラリンピックの語源なんですが、脊椎損傷の方を“paraplegia”と言うんです。パラリンピック自体はずっと昔から障害者の種目として開催されてきたんですけど、“パラリンピック”という名前がついたのは1964年。

東京オリンピック!

立石イオタ良二そうです。そして、パラリンピックとなって初めて日本に金メダルをもたらしたのって、何の競技だと思います?

卓球!?

立石イオタ良二卓球なんですよ!

すごいですね!

立石イオタ良二卓球は健常者と障害者が同じルールでできるスポーツなんですよ。老若男女、誰でもできて、天候も空間的問題もなくて、このテーブルでもできる。

面白い話で、IT企業のオフィスって卓球台が置いてあるんです。シリコンバレーの投資家たちが、「年度が変わったときに卓球が納入されなかったIT起業は要注意だ」って言うくらい。なんで卓球台を置くのかというと、卓球は反射と反応を繰り返すのですごく脳の活性化に繋がるらしいんですね。脳神経外科の論文も出ていて。日本体育大学の教授と全国の肢体不自由者特別支援学校の校長会の会長が、障害者の子どもたちに奨励するスポーツとして一番仕切りが低くて取り組み易いスポーツも卓球だったんです。

へー!

立石イオタ良二肢体不自由者の支援学校や病院の院内教育に卓球台を設置していくというプロジェクトも、予算の問題はあるものの少しずつ始まっています。そういう意味では卓球というのはすごく良くて、卓球を歯切りにやりたいスポーツの選択もできるようになってくると思うんです。

可能性を知れるということですね。

立石イオタ良二兄も障害をもっていることで「自分は選択とかできない、選択肢がない」と言っていたんです。卓球をきっかけにスポーツができることを知ってもらって、パラスポーツに詳しい人が「あなたの障害だったらこういうスポーツができるよ、やっている人たちいるよ。一回やってみよう」と可能性を広げてくれれば、すごく障害者の方の世界が明るくなって、彼らが社会に出やすくなる。それを見た健常者の人たちが彼らの生き抜く力に触れて勇気がもらえて、すごい相乗効果と相互理解が深まっていって…大げさかもしれませんが、日本の社会が変わるのではないかと思うんです。そういう夢物語を抱いています。

めがね男子の為事 File: 003 立石イオタ良二

ありがとうございました!

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