【ボストンクラブ デザイナー】笠島博信さんインタビュー「”伝える”を意識するデザイン」

1984年の設立以来、流行に左右されない独自性の高いめがねを手がけ続けてきたボストンクラブ。そんなボストンクラブが1996年に立ち上げたハウスブランドが「JAPONISM(ジャポニスム)」です。

シンプルでありながら存在感のあるフレーム、優れた実用性と機能性、さらには随所に織り込まれた遊び心は、文字通り「日本的モダン」を体現するめがねとして高く評価されてきました。わたしが編集部に入ってめがねに触れ出したとき、「こんな自由なめがねがあるのか!」と、めがねのデザインの可能性に触れたフレームが、このJAPONISMでした。

今回はJAPONISMの立ち上げにも携わった、ボストンクラブ デザイナーの笠島博信さんにお話しをお伺いしました。


筆で描いたラフスケッチから、JAPONISMは生まれた

笠島さんがめがねデザイナーになるまでの経緯を教えてください。

笠島僕は高校生まで、ずっと鯖江で育ちました。実はボストンクラブの社長は僕の親戚で、その頃からよく「これからはデザインの時代。デザインを勉強した方がいい」と言われていましたね。だからといってすぐに「デザイナーになろう」とは思いませんでしたが、自分の手で何かをつくることは好きだったし、工業デザインを学ぶのも悪くないかなと思い、東京の専門学校に進学します。ここでは、車などの身の回りにある様々な工業製品のプロダクトデザインを幅広く学びました。

そこで学ぶ中で、めがねデザイナーを目指すようになったのでしょうか?

笠島それが結局、専門学校では最後までやりたいことが見つからなかったんです。だから卒業後もすぐに就職はしないで、海外を放浪していました。「就職しないといけない」という気持ちより「世界を見たい」という気持ちの方が強かったんですね。もちろんお金はなかったから、カナダの牧場で働いたり、ロサンゼルスでバーテンダーをしたりしながら1年ほど暮らしました。それで「次は発展途上国で暮らしてみるのもいいかな」なんて考えつつも、一度日本に帰国したんです。その時に、海外のお土産を持って社長に挨拶に行ったら、「ウチで働かないか?」と誘われて。それから24年間、ずっとボストンクラブで働かせてもらっています。

めがねの世界に飛び込んでみて、どんなことを感じましたか?

笠島まず感じたのは、多くのめがねが「かけにくい」ということです。アジア人の顔は欧米人に比べると横に長いのに、めがねはそうつくられていない。そこで思いついたのが、めがねを湾曲させること。そうすればもっとかけ心地が良くなるはずだ、と。そう思ってデザインしたまでは良かったのですが、実際にそれを量産してくれる工場を見つけるまでが大変でした。それでもなんとか引き受けてくれる工場を見つけ、製品化に漕ぎつけたときは本当に嬉しかったです。販売してみると評価も上々で、「やって良かった」と思いましたね。

これまでにない、新しいめがねをつくろうという想いがあったのですね。JAPONISMもそんな想いから生まれたのでしょうか?


笠島そうですね。当時のめがねって、徐々に新しい技術や海外のテイストを取り入れはじめてはいたけれど、まだまだ古典的なものが主流で。ある意味で硬直していたと言いましょうか。それをなんとか壊したかったのですが、どうしたらいいのかは分かりませんでした。ラフスケッチをいくら描いてもピントこない。それである日、試しに筆でラフを書いてみたんです。もう、わーっ、と一筆描きで。すると、いつもより抽象的なラフが描けたんです。そこで何かが壊せたというか、弾けたように感じました。このときに得たインスピレーションが、ジャポニスムというブランドの核になっています。ただ、それを形にしてくれる工場を探すのが、また大変でしたけどね(笑)。それでも「新しいものをつくろう」という想いに共感してくれる社長の協力もあり、商品化することができました。

ある意味で、偶然ともいえるようなひらめきを上手くキャッチしてJAPONISMが生まれたのですね。筆で描く以外に、インスピレーションを得るために工夫されていることはありますか?

笠島インスピレーションって結局は、自分が見たもの、聞いたもの、出会った人、喋ったこと、そういう自分の中にある様々なものが繋がってはじめて生まれてくるものだと思うんですね。僕は出張に行くことが多いから、その時になるべく色々なものを見ることを心がけています。とにかくたくさんのものに触れて、それを吸収する。そうやってインスピレーションを得るための土台をつくっています。


そうして得たインスピレーションを、どのように製品に落とし込んでいくのでしょうか?

笠島まず大切なのが、自分のアイデアにとらわれ過ぎないこと。はじめはなるべく抽象的に、ラフもわざと崩して描いたりします。そうしておけば、また何か思いついたときに、すぐプラスしていけますからね。そうやって、アイデアを少しずつ発展させながらラフを固めていくわけです。そうして出来上がったラフを、図面に落とし込むのですが、これがまた時間のかかる作業で。本当に線一本単位で微調整を繰り返していきます。「これで良いかな」と思ったら、一日置いてから再度見てみる。そうするとどこかに違和感が見つかるから、また調整する。これの繰り返しです。1~2週間経ってから見直しても、違和感がないところまで仕上げて、おおむね完成です。

ジャポニスムの洗練されたデザインの背景には、そんな試行錯誤の積み重ねがあるのですね

笠島ちょっとしたことで、めがねの印象はガラッと変わってしまいますからね。バランスが良くないめがねはやはり売り上げも伸びないし、何よりかけたときに違和感がある。だからそうならない、きちんとバランスのとれためがねをつくるためには、やはり繰り返し丁寧に調整することが必要です。めがねづくりって、本当に難しいですよ。


「つくり方」だけでなく「伝え方」が問われる時代に、僕がすべきこと

20年以上にわたってめがねづくりに携わってきた笠島さんから見て、今後日本のめがねづくりは、どのように進んでいくと捉えていますか?

笠島まだまだ伸びしろはあると思います。特に「伝え方」の部分でやれることがたくさんあります。これは特に産地のデザイナーさんに言えることですが、技術にはこだわっていても、それを”人に伝える”というプロセスを疎かにしていることが多い。これはとてももったいないことです。私自身が、「伝え方」を強く意識するようになったのは2010年頃で、そこからプロモーションムービーやメイキングムービーの製作にも携わりはじめました。

実際に、ボストンクラブさんはWebサイトにもこだわられていますよね。ヴィジュアルからも文章からもメッセージが明確に伝わってきます。

笠島社内全体で伝え方を大切にしようと雰囲気がありますね。ただ、まだまだな部分もあって。ネット全盛の今の時代にどう対応して、どう自分たちの世界観を届けていくか、まだまだ整理しきれていないのも確かです。そのあたりは、僕よりもはるかにネットリテラシーの高い、20代、そしてこれから社会人になる若い世代の人たちの力を活かしていこうと考えています。

「どうつくるか」だけではなく「どう伝えるか」かが、今後のめがねつくりにおいて重要になっていくのですね。

笠島そうですね。自分のこだわりを、人にどう伝えるか。そこまで含めてデザインなのだと思います。これは僕が中学生向けに開催しているデザインのワークショップでもよく話していることです。

そういった活動もされているのですね! どういったワークショップなのですか?


笠島めがねのデザインを実際に体験してもらうワークショップです。ターゲットは誰なのかを考えるところからはじめて、どうすればその人が喜ぶデザインができるのかを考え、それをみんなでプレゼンテーションします。それらを通じてデザインとは何かを知ってもらいたいんです。これは中学生に限りませんが、形を考えたり、色を塗ったり、そういった表層的なことをデザインだと考えている人がまだまだ多い。そうではなくて「今ある問題を解決して、それをきちんと人に伝え、そして関わっている人たちがバランスよく潤うことこそがデザインなんだ」と伝えたいんです。

そういった考え方を中学生のときに学んでおくと、その後の世界の見方が大きく変わりますね。


笠島そのきっかけになれば嬉しいですね。どうやったら問題を解決できるのか、どうやったら自分のこだわりが人に伝わるのか。そうした問いを立てる能力は、デザインに限らず様々な場面で役に立つはずです。僕は今、京都精華大学でもめがねのデザインを教えていますが、ここでもデザインを学ぶことで、それぞれの学生が自分のフィールドで活かせるヒントを持ち帰って欲しいと考えながら授業しています。

教えるという経験を通じて、感じたことはありますか?

笠島まずは学生のレベルの高さに驚きましたね。みんな当たり前に3Dで設計もすれば、プログラミングもする。インターネットを通じて優れたコンテンツにも日常的に触れているから、感性も磨かれている。ただそれが当たり前なので、その中から一歩抜け出すためには、誰かがその才能をさらに磨く場を用意してあげないといけません。それがこれからの僕の役目なのかな、と感じています。これは社内でも同じです。若い人たちが力を伸ばせる機会をどうやってつくるか。今後は僕の力の半分くらいを、そちらに向けていこうかなと考えています。

めがねつくりの環境自体をデザインしよう、と。そういったところまで視野が広がっていらっしゃるんですね。ちなみに残りの半分の力は、どんなことに注がれていくのでしょうか?

笠島僕自身のデザインをもっと突き詰めたいですね。目指すのは「普遍的なめがね」です。既存のデザインを壊して創るということを基盤に置いた、無駄がなく、ピュアで、タイムレスなめがね。一見シンプルだけど、めがねに詳しい人だけではなく、誰が見ても良いと思えるめがねが理想です。そういうめがねを、残りの生涯でつくっていけたらいいですね。


笠島さんのつくる「普遍的なめがね」、いつかお目にしたいです。それでは最後に、笠島さんにとってめがねとはなんでしょうか?

笠島めがねは、かけている人を表す”鏡”だと思います。価値観もセンスも、めがねを見ればその人のすべてが一目で感じられます。それと同時に、めがねは鎧でもある。ここぞという場面で良いめがねをかけていけば、気持ちがグッと引き締まりますよね。雰囲気や行動だって、かけているめがねによって変わるはずです。その延長線上で言えば、人生だってめがねで変わってくる。だからこそつくり手は、魂を込めてめがねをつくらないといけないのです。いつもそう肝に銘じて、めがねと向き合っています。

笠島さんのめがねづくりにかけた情熱に触れることができました。今日は、ありがとうございました。

誰が見てもいいと思えるデザインを目指して

デザインは「つくるだけでなく、それをきちんと人に伝えることだ」という笠島さんは、まさにボストンクラブを体現しているデザイナーであると、お話を聞いて実感しました。ボストンクラブが、めがね業界を牽引してきた理由に触れた気がします。笠島さんのような方がいれば、きっと日本のめがねつくりの未来は明るい。そう思わせてくれるインタビューでした。

それにしても「これからは伝え方が問われる時代」とはなんて重い言葉なのでしょう。
私たちもまた、つくり手とは別の角度から、めがねの良さをもっと伝えられるように頑張らなくては。そんな思いを新たにさせてくれる、身の引き締まる時間でもありました。

「めがね新聞」では引き続き、めがね業界で活躍するデザイナーを追いかけ、めがねの最先端の思考を伝えていきたいと思います。お楽しみに!

BOSTON CLUB(ボストンクラブ)