【伊藤美玲のめがねコラム】第66回「どうしてめがねを避けるのだろう」
先日、車の運転を長年の趣味としている方と話していたときのこと。65歳を超えて目の衰えを少しずつ自覚するなかで、夜間、さらに雨という視界の悪い状態だと、もうとっさの判断がつかなくなってきたのだそう。それゆえ、自主的に悪天候の夜は運転しないことを決めたとのだと言います。
「そんな視界の悪い日の運転に適したレンズもありますよ」と言いかけた私。でも、昨今の高齢者ドライバーの事故の話などもありますからね。その決断を尊重し、話をうなずきながら聞いていました。
そうかと思えば、Twitterでときどき、めがね屋さんの気になるつぶやきを見かけます。それは、「めがねが嫌い」などの理由で、めがねをかけずに車の運転をしている人が少なからずいる、といった内容のもの。「更新時の視力検査のときだけめがねをかける」とか、なかには「目を細めたら検査を通った」なんていう話も。
いやはや、遠くがぼやけた状態で車の運転をしている人がいるなんて。見えないことで、判断がにぶったりしないんでしょうか。何より、運転していて怖くならないのでしょうか。私なんて、夕方自転車に乗るだけでも怖いのに……。
運転をする・しないに限らず、自分の周りにも“別に見えなくても困らない”とばかりに、めがねの着用を拒んだり、先延ばしにしている人は少なくありません。どうしてなんだろう。
めがねをかけたときの、「わ~、見える!」という感動を味わうことができていないのかな。かけないということは、“見える”ことよりも、“めがねをかける”ことのストレスのほうが上回っているということですもんね。それとも、見た目の問題なのでしょうか。めがねをかけた自分が好きになれないとか……?
“見えないぐらいがちょうどいい”といったことを言う人もいますが、人は“情報の8割を視覚から得ている”と言われています。めがねをかけることで今より良く見えるという選択肢があるのであれば、それを使わない手はないと思うのです。
私は小学生の頃からかれこれ30年めがねを着用しているので、かけたくないという人の気持ちが、なかなか理解できません。もはやめがねが体の一部になってしまっているから着用すること自体に何らストレスはないし、そもそも強度近視ゆえ、めがね無しでの生活は考えられないわけで。でもね、理解したいんです。かけたくない人の気持ちを。それが理解できないと、めがねをかけたほうが良い人に、もうどんな言葉でアドバイスしていいのかわからないから……。
めがねをかけてほしい。そう思うのは、単なるおせっかいなのでしょうか。
なんだか今回は、結論のない話で申し訳ありません。でも、自分の身近な人ですら説得できていない今の状況が本当にもどかしいんです。
でも、こんな嘆きに近いようなコラムでは伝わらないですね……。読んだら自然とめがねをかけたくなる。そんなコラムを書けるように、もっともっと努力しなくては。そう思う所存であります。
皆さんなら、どんな言葉をかけますか?
東京都生まれ。出版社勤務を経て、2006年にライターとして独立。メガネ専門誌『MODE OPTIQUE』をはじめ、『Begin』『monoマガジン』といったモノ雑誌、『Forbes JAPAN 』『文春オンライン』等のWEB媒体にて、メガネにまつわる記事やコラムを執筆してい る。TV、ラジオ等のメディアにも出演し、『マツコの知らない世界』では“メガネの世 界の案内人”として登場。メガネの国際展示会「iOFT」で行われている「日本メガネ大賞」の審査員も務める。